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合気道における「受け」って何ですか

合気道を始めてからというもの恥の上塗りばかりである。
小学校の頃から運動神経はめっぽういい方だったので、この体たらくは一種のカルチャーショックだった。いくら努力を重ねても周囲から「いいね」「うまいね」と評価されない。固いと叱られ、動きすぎと呆れられ、軽いとけなされ、鈍いと蔑まれて混乱するばかり。しかし、それにしても、どうしてそれほどまでに「受け」について言及がなされるのか。
20年以上稽古してきた現在、「受け」重視の稽古方法については全幅の信頼を置くことができる。しかし最初からこのような稽古方法に承伏したわけではなかった。そもそも・・・

1. 先輩自身が気持ちよく投げるために後輩に「受け」を強制しているのではないのか。
2. 「受け」ばっかりやっていても結局「取り」の技術は身につかないし。
3. 特に「受けのみ」というのは嗜虐趣味の時代遅れな稽古方法だ。

などと最初は考えていた。最終的には「取り」が上手くならなければ意味が無い。ところが「受け」重視の稽古方法は社会人になって本部道場や他道場の稽古などと比較対照が出来る立場になると俄然意味を持ってくる。つまり「取り」の技術を先に習ってしまうと弊害が出やすいことに気づくのだ(くやしいけど「取り」が優先的な稽古方法であってもぐんぐん上達する人はいます。しかしそのような人はもともと武道センスの高い一握りの才能たちです)。

受け重視の合気道は容易に完成しない(そもそも合気道に完成はない)。

受けを通して相手の技が自分の中に入ってくるので無限に思考が広がっていく。
技を受け切れるため相手の力の出所を把捉しやすい。その情報をもとに、真似する/しないを判断できる。

もちろん最終的には相手とか自分だとかいった区分けを無くしていく必要があるのは確かですが、いきなりそこへ行くのは非常に難しい。その前にやることがある。それは相手をまず受け入れていくこと。

つまり、「受け」を取るとは自己を一端ばらばらにすること。そして都度自分を組み立て直していくこと。再帰的な合気道をするための手段なのだ。

小さい「取り」の技術的成功が後の大きな合気道的成長を妨げる。
早くに自己的に「完成」するので合気道に飽きてしまう。

 では具体的にどのような受けをしていくべきなのか。
筑波・守谷合気道クラブでは一教の受けをとるときに、その技術を学んでいきます。
1.返しはしないが、いつでも返すことのできる身体作り。
2.末端を脱力して、中心からついていける意識作り。
つまり、接点に近い間接ではなく、遠いところでバランスよく耐えていく技術を身につけます。
記事公開日: 2012年09月01日
最終更新日: 2012年09月14日

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