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単純な脳、複雑な「私」

Amazon.co.jp: 単純な脳、複雑な「私」: 池谷裕二: 本

この本の中には武道にとって、非常に示唆的な内容がありましたので、メモして思考してみます。それは、人が何かをしようとして、行動するまでの脳の動きについてです。(なんと25年も前から発見されている実験なのだそうです。知らなかったなー)。

実験は単純。「好きなときに手首を動かしてください」というもの。そこで測られるパラメータは四つ。

1.自分が意識して認知できること。つまり、

「手を動かそう」という意志。および、「あ、動いたな」と分かること。

2.脳内での活動として二つ。すなわち、

「準備するための脳内の活動」および「実際に動くように出す指令」。

この四つの指標について、順番はどのようになるか、という実験です。単純ですよね。本を読まない段階で常識的に考えると、このようになるかと思います。

「動かそう」→脳内で準備→脳内で指令が出る→「あ、動いた」

さて、もちろん実験の内容はこうなりませんでした。順番としては、こうなるそうです。

脳内で準備→「動かそう」→「あ、動いた」→脳内で指令が出る。

えー、どういうことなんだろう。本の中では十分語られているのですが、自分なりに解釈してまとめていきます。

常識に逆らう知見が二つあります。

意識的に動かそう、と思う前に脳が勝手に準備を始めている。また、
実際に筋肉が動く前に、「動いた」と感じてしまう。感じてしまってから、指令を後出しする。

うーむ。意味分かりますか?最初読んだときは頭がこんがらがりました。

これは武道的に言うと、相手に攻撃し「よう」として意識出来た段階では、既に脳内では準備が始まってしまっている。一秒ぐらいまえに始まっているという研究結果がでているそうです。ということは、攻撃される側は、相手が意識するより前に脳内の動きを察知できれば、意図が丸見えになってしまう。

また、攻撃側が当たった、と認知できた段階では実際には出力されていない。攻撃側からしてみると、十分当たったと「思った」のに実際は当たっておらずあっさり躱された、という状況が起こりうる。

では、仮に脳内で準備する部分に損傷がある場合、どうなるか。準備できないということは、だらーと無気力になるのか、というとさにあらず。なんと、勝手に手が動き出してしまうのだそうです。

なぜならば、脳回路は常に「ゆらいで」いるから。出力は、入力+ゆらぎである。そこで問題。脳内で勝手にゆらいで何かを動かそう、と準備してします。そこで動かしたくなったとき、「動かさない」という拒否権を意図的に発動することができる。

つまり、自由意志、というより「自由否定」がこころの構造の表現として適切である。

あれも駄目、これも駄目、駄目駄目と言いつつ否定し尽くした後に、思いついたこと。これならいいね、というものを「自由に否定しない」スタイルのみが残されている。自由に否定しないところに、(ようやく)自己というものが立ち上がる。

では、その自由否定はどこからくるのか。

記事公開日: 2010年02月09日
最終更新日: 2012年02月06日

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